バクサ裕子Hiroko Bacsa
一児の母としてラ・テールへ 私のお菓子作りの原点は、幼い頃、双子の姉といっしょに作ったプリン。高校卒業後、勉強するならお菓子づくりをと、故郷の青森から大阪の製菓学校に進学し、そこからお菓子の世界に没頭してきました。
製菓学校を卒業後は、そのまま大阪のホテルに就職。とにかく夢中で働き、ひと通りの業務を覚えた頃、オーストリア人のシェフからドイツでパティシエを探しているという話を聞き、即座に立候補。2,3年修行するつもりで、単身ドイツへ渡りました。
初めは言葉にこそ苦労しましたが、ある程度の技術があったおかげで、一目置いてもらうこともでき、行く先々で人の縁にも恵まれ、結局10年間ドイツに滞在。有名ホテルなどで経験を積みました。途中ケルンの職業学校にも通い、ドイツ修行の証にと、国家資格である"菓子職人マイスター"試験にも挑戦し、資格を取得。 そして料理人であるドイツ人の夫に出会い、結婚したことで、新たな職場を求めたことが日本に帰るきっかけとなりました。
夫の就職が東京で決まり、帰国移住した頃、妊娠。そして男の子を出産し、母親になった私が出会ったのが、ラ・テール洋菓子店でした。 「体と心にやさしいお菓子」という考えに、ひとりの母親として共感し門を叩き、ドイツでの経験を評価されシェフに就任しました。
ドイツでは旬のものを使ったお菓子や宗教の行事にまつわるお菓子が、生活の中にしっかりと根付いています。 毎年その時期になると、同じお菓子が町のお菓子屋さんには必ず登場し、それをお客様も毎年楽しみに買い求めます。それはいつの時代も変わらず、人々の温かな思い出を彩っているお菓子たち。私がつくっていきたいのはそんなお菓子です。
例えば、果物はできるだけ旬のもの、そして安全なものを使います。全国の各生産者から、安全でおいしい果物を分けていただき、試作を重ねてそのおいしさを最大限に引き出すお菓子に仕上げる。その努力を、私たちはいといません。 そうして旬と素材の味を何よりも大切にしてつくったお菓子を作りたての状態で食べていただきたいと思っています。
次々に新しいお菓子がもてはやされる日本で、人々の生活の中でずっと「愛され続ける」、そんなお菓子をつくり出すことはきっと簡単ではありません。お菓子の完成度もとてつもなく高いものが求められるでしょう。
でもそんなお菓子を、いつかこのラ・テールでつくり出したいと思っています。 ひとりの菓子職人として、そして母親として、日本人として、自分にしかできない、そんな究極のお菓子をつくりたいですね。